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校歌に魅せられて
岩田 誠
女子医大の校歌に初めて接した時、私はその歌詞に驚きました。多くの大学の校歌や応援歌は、母校の名を讃えそこに属する自分たちの存在を賛美する言葉に満ちているのが普通ですが、女子医大の校歌は、それらとは全く違っていて、自分たちの学びは世の人々に尽くすためなのだということを、はっきりと示していたからです。しかもその完璧な七五調の歌詞は、当時の本学の学生さんたちが創られたと知って、彼女たちの語彙力と詩心(うたごころ)に打たれました。私は、2007年の4月から約7か月間、学長代行を務めさせていただきましたが、学長代行としての新入生への講義に選んだのは、校歌の歌詞の講釈でした。その時の講義を思い出しながら、ここでもう一度校歌について解説してみたいと思います。
校歌は一番から三番までの三部に分かれていますが、一番では、自分たちは赤心(せきしん)、すなわち真心(まごころ)の花を咲かせるためにここで学ぶのだという決意の下、彌生先生の創られた学びの園で育っていく喜びが歌われています。現在の第1病棟からTWInsの辺りは、かつて彦根藩家老水野土佐守の屋敷がありましたが、明治以後そこは水野ヶ原と呼ばれる野原になっていました。その緑溢れる野の中で、自らが一輪の馨しい赤い花として咲き開くことを目指して学ぶことを誓っている若き女性たちの姿が蘇ってきます。
二番では医の道を天職として進む決意を抱いた女性として、全ての病者にとっての慈母として、また希望の光を与える月の如くありたいとの思いを延べながらも、医師としての国家資格を得るためには、級友たちと励ましあいながら 懸命に勉強していかねばならないとの決意が歌われています。中国では、唐の時代から科挙という国家公務員採用試験が行われるようになりましたが、大変に難しい試験でした。皇帝からその試験がどれほど難しいのかを問われたある人物は、「それは月に生えている桂の木の枝を手折るほどの難しさです」と答えたそうですが、この歌詞を創った本学の先輩の方は、その故事を譬えにして医師の国家資格を得ることの厳しさを歌ったのでしょう。
三番は私が一番好きな歌詞です。そこでは、彌生の園を巣立って医の実践の世界に挑んでいこうとする女性医師の覚悟が歌われています。彌生先生が常に目指された「至誠と愛」のうち「愛」が省かれているのは、二番で歌われた「慈母(はは)のごと・・・輝く月と照らさばや」において、もう既に溢れるばかりの愛を注ぐことは当然であると謳われていたからでしょう。どんな困難があろうとも病と闘っていくことこそが、天から与えられた私たちの使命なのであると誓い、そしてそれが私たち女性医師の誇りなのだと謳っているところに、私は当時の本学の学生さんたちの心意気を強く感じるのです。
このように自らの心構えと、将来の自らの社会的役割を堂々と発信した校歌を持つということは、本当に誇らしいことだと思います。本学卒業生の方々には、皆さんの先輩たちが校歌にこめた思いを高らかに歌い続けて頂きたいと思います。